最初は外国人を叩き出せといきまいていた幕末の志士たちもしだいにそれが無理だと悟り、開国して国をあらたにするためには古い幕府を倒すしかない、と考え直します。最後の将軍徳川慶喜は機先を制して形式的に政権を朝廷に返して延命しようと策しましたが、西郷・大久保がこれをゆるしません。結局戦いを挑まれた江戸幕府とこれに忠義をたてた東北・北陸諸藩は、叩き潰されました。日本は国際関係に促迫されて、大きくかわらなくてはならなかったのです。
新しい政府は天皇をいただき、強くて豊かな国になることで欧米諸国のなかまになろうとがんばります。私は、ヨーロッパの市民たちがあらたな近代国家をつくっていったその精神ではなく、帝国主義化してきた当時のヨーロッパ列強の悪い面のほうを真似してしまっているように思います。とにかくも日本は上から強力に近代国家を作り上げていきます。そこではいろいろな矛盾も生まれましたが、古い社会を変えるんだという多くの志ある人々の奮闘がありました。
そして、都市部では人々は一見はなやかでにぎやかな生活を楽しんだようです。他方で農村部の変化は緩やかだったようです。この大きな社会変動に取り残されてしまい困惑・困窮したのが武士たちです。プライドを奪われ経済的にもうまく稼げない彼らの不満の噴出にかつがれてやむなくたちあがったのが、下野していた西郷さん。最後の武士として戦い敗れ切腹したとき、武士の時代はいよいよおわったといえます。
武力では薩・長新政府にかなわないから言論でたちむかおうとしたのが土・肥の板垣・大隈たちでした。彼らは自由民権という旗をかかげます。これは次第にあらたな政治への期待や藩閥政府への不満さらには自由の拡大をもとめる広範な大衆運動へ発展してゆきます。しかし、上に立つ指導者の志はそんなに高くなかったので、取り込まれたり、運動はゆきづまり、下から過激化したりして、自由民権運動は挫折してゆきます。それでも国会の開設を勝ち取るという成果をのこしました。そして、憲法制定をもって、近代日本はいちおうの完成をみたのです。