聖徳太子は、蘇我氏とともに天皇中心の、仏教にもとづく、安定した国をつくろうと努めました。その死後、蘇我氏が天皇をしのぐ力を持ったので、中大兄皇子が中臣鎌足とともにこれを倒して、天皇を中心とした国づくりを中国の政治制度を手本にしてすすめます。土地と人民は国のものだと宣言します。都を定めて法律や税の仕組みもととのえます。有力な豪族は都の貴族として支配下に組み込みます。
奈良の平城京が造られたのち、疫病や災害などの社会不安を仏教の力でしずめたいと考えたのが聖武天皇です。それで全国に国分寺を、東大寺に大仏を造らせたのです。他方で中国につかいを送ったり、中国・朝鮮のすぐれた人々を招いてすすんだ文化をとりいれ、独自の文化を形成していきます。