連島に教材を買いに行ったら、長年見つけられずにいた薄田泣菫の生家をついに発見した。すすきだきゅうきんとは、明治後期に活躍した詩人・文豪である。連島に生まれ、1945年に連島でなくなっている。その生活の様子がうかがえる住居がのこっているのだ。泣菫の詩は、古語や漢語を多用した晦渋だが美しい文体であり、新体詩(文語定型詩)を発展させたという日本文学史上の位置づけを与えられている。大阪毎日新聞学芸部長としてみずから健筆をふるうと同時に芥川龍之介・菊池寛などを世に送り出した。
生家には与謝野晶子ら当時の文学者からの手紙や遺品が展示され、文壇の中心にいたことがうかがえる。当時の若者に愛された名詩「ああ大和にしあらましかば」の備前焼の詩碑もみることができた。小さな幸せ体験だった。