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倉敷における源平合戦

倉敷では「藤戸合戦」と「水島合戦」が行われた。藤戸において源氏の佐々木盛綱は、児島湾対岸に渡ろうと、地元の若い漁師から浅瀬の場所を聞いた。佐々木は功をひとりじめするための口封じとして、その若者を殺してしまった。戦いには勝利したが、その若者の母は、愛する息子を殺された恨みで、「佐々木といえば笹まで憎い」と、あたりの笹を刈りつくしたと伝えられる。現在も笹無山という名にのこっている。なお佐々木は自らの行ったことを悔いて、のちに両軍の戦死者とその漁師を供養する大法要を行ったという。
他方、当時海だった玉島でおこなわれた水島合戦では、平家が勝利した。その勝因の一つは、源氏が船に不慣れだったのに対して、操船術に長けた平氏が、船同士をつなぎ合わせて板を渡すという戦法が功を奏したこと。もう一つはその時皆既日食で真っ暗闇になったことに混乱した源氏に対して、平氏側は天文知識があり冷静だったからだという。地域のことを調べると、結構おもしろいことが掘り出される。

2024/6/6