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世界史探究

ロシアの歴史

 ロシアの歴史は動乱の歴史である。とりあえず建国からロマノフ朝成立までをまとめる。9世紀、ノルマン系のヴァイキング(スラヴ系ルーシ)が東スラヴ人の地に進出し、リューリクがノヴゴロドを治め、その一族がキエフを都とした王朝を開く。その後キエフ・ルーシは東方正教を導入する。
 13世紀にモンゴル帝国が侵攻しキエフ・ルーシは分裂する。ロシア諸公国はキプチャク=ハン国に支配される(タタールの軛)。いわゆる暗黒時代だったとされるが他方で中央集権的な支配のモデルや徴税制度や軍事動員のシステムなど、のちのロシアの統治の基礎を吸収したともいえる。そしてモンゴル人支配下で頭角を現していったのがモスクワ大公国である。ついにそのドミトリー・ドンスコイがモンゴル軍に軍事で大勝する(1380年)。そして1480年にはイヴァン3世がモンゴルへの貢納を敢然と拒否し、事実上独立する。彼はみずからをツァーリと称し、「第3のローマ」とビザンツ帝国の後継者を自認した。さらにイヴァン4世(雷帝)は内政改革と対外拡張、中央集権化を強力に進めた。

 イヴァン雷帝は、専制支配と恐怖政治で有名である。彼自身は愛と恐怖、信仰と残虐、創造と破壊という相反し分裂したパーソナリティをもっていたようだ。自ら信頼する騎士団(親衛隊のようなものか)を組織し、貴族たちへの粛清を行い、政敵や富裕層を、さらには反抗的とみなしたノヴゴロドなどの都市丸ごとを攻撃・襲撃・略奪・殺戮した。民衆に対しても極度の緊張と恐怖を植え付けて支配した。おそろしや。そして、最後にはこうした孤独な最高権力者によくあるような猜疑心に駆られて、後継者であった有能な皇太子を殴り殺してしまった。イヴァン雷帝はその後悔と孤独感の中にあって死んでいく。悪名高きロシア史上の独裁者にちがいないけれど、モスクワを一公国から大国へ大転換させたことも歴史的には評価される。ところで、文豪トルストイは、暴力を否定しすべてを民に与える農民王『イヴァンの馬鹿』という名作を書いたが、たしかに雷帝と対極的人物とはいえても、直接雷帝批判として書かれたとは言えないだろう。

 その雷帝死後、動乱と崩壊の時代にロシアははいってゆく。雷帝が有能な皇太子を撲殺したことで、非常に無能で病弱だったと言われる次男が帝位を継ぐ。すると彼の義兄のボリス・ゴドゥノフが政権を奪取する。彼は名家出身ではなかったものの、国民会議で選任されるという形をとった。しかし大飢饉や社会不満の増大、権威の欠如などによって政権は崩壊してゆく。そうしたなかで登場したのが、謎の男・偽ドミトリーである。どうなってんだか。このあやしげな男は「自分は雷帝の末子・ドミトリーである。死んだというのは嘘で実は生きていたんだ。それがこのおれだ」と言い張り、ポーランドの支援を受けてロシアに攻め込んできたのだ。1605年に彼らはモスクワ入城を果たし、ツァーリになってしまった。しかし次の年には身元がやっぱり怪しいことと、ポーランドびいきで不評を買い、モスクワで暴動が起こり偽ドミトリーは殺されてしまった。(ドストエフスキーの小説でポーランド人がとても悪く書かれているが、ロシアとポーランドの不幸な歴史を知っているとなんとなくわかる)

 その後もロシアは大混乱。偽者ドミトリーはその後も次々と現れたり、ポーランド軍が攻めてきてポーランド王子をロシアの王座につけようとしたり。もうめちゃくちゃ。国家存亡の危機になる。そこで立ち上がったのがロシアの民衆。肉屋ミーニンと軍人ポジャルスキーなる人物が義勇軍を組織し、ポーランドからモスクワを奪い返した。そしてロシアの人々の国家意識が目覚める。その結果として、国民会議でミハイル・ロマノフ(16歳)がツァーリに選ばれてロマノフ朝成立。ほんとすごいね、この国の歴史っておもしろ。


2025/7/7