どうして数学というものが生まれ、人類が生きていく上て不可欠となり、どれほど人類の生活に役立っているのかは、数学の歴史をたどることでわかってきます。たとえそれが多くの人たちを学生時代にどれほど苦しめつづけてきたのだとしても。
数学は起源においては生活と密接に結びついていました。古代エジプトや文明発祥の地メソポタミアでは、すでに数学が農業や建築・税の計算などに利用されていました。数学なくして文明はなかったのですね。メソポタミアの楔形文字の粘土板には、代数的な問題や三平方の定理に関する記述がみられます。エジプトでは分数計算や幾何学の実用的な知識がピラミッド建設などに使われました。
古代ギリシアでは、ピタゴラス・ユークリッド・アルキメデスなどの偉人が登場し、数学は観察や実用から離れて、独立した理論として体系化されてゆきます。また、経験的にそうなっている、というだけでなく、なぜそうなるのかを論理的につきつめ始めたのです。ユークリッドの『原論』は、幾何学を体系的に構築したもので、世界史上で、聖書についで二番目に多くの人に読まれた本らしいです。
インドでは、ゼロの概念や十進法といった革命的な発明がなされます。これがのちにイスラーム世界を通じてヨーロッパにも伝わります。数字はアラビア数字といわれますがもともとインドでつくられたもので、0をふくめた数字が計算を圧倒的に楽にしたんです。
アラビア数学者のアル=フワーリズミーは代数学の基礎を築き、アルゴリズムという言葉の語源にもなっています。イスラム世界においては、古代ギリシャの諸理論の文献が翻訳・保存・研究され発展させられました。ヨーロッパよりもイスラーム世界が学問・文化の世界の中心だったころです。
そしてルネサンスを経た近世ヨーロッパにおいて、印刷技術の発展と相まって、数学も飛躍的に発展してゆきます。哲学者でもあるデカルトは、代数と幾何を統合して、解析幾何学を創始し、科学の父・ニュートンとこれも哲学者であるライプニッツは、それぞれが微積分法を発明しました。このころから、数学が自然を記述する強力なツールとなってゆきます。自然の数学化、ともいわれます。
近代にはさらに、オイラー・ガウス・ラグランジュ・ラプラスなどの多くの天才が出てきて、数学を体系的に拡張してゆくのです。とくにガウスは、「数学の王」とよばれ、数論や解析、幾何学などで広範囲に大活躍します。また、非ユークリッド幾何学が発見されたり、群論が発展するなどによって、より抽象的な数学の世界が構築されてゆきます。
現代においては数学はさらに高度なものに発展しています。集合論・論理学・位相空間・関数解析・カテゴリー理論など、きわめて抽象的な理論が次々と確立されます。計算機科学との関係も深まり、アルゴリズムや暗号理論、人工知能、量子計算など、新たな応用分野も生まれています。デジタル社会は数学で成り立っている感じです。
他方で、中国でも、紀元前後に『九章算術』がつくられて、すでに-の数や連立方程式までが扱われていたそうです。中世中国でも当時世界最高レベルの円周率の計算や公式の厳密化がすすみます。宋から元の時代には商業の発展とあいまって、算盤の仕様が広まり、高次方程式の解法も見つかります。明代以降では、ヨーロッパの数学も取り入れられさらに磨きをかけられます。
日本も、中国の影響を受けつつ江戸時代に独自の和算文化を築きます。そして、これまで見てきたように、数学は一部の学者の独占物というわけではなく、それを支える下地として、結構民衆が数学の問題を解くことを知的娯楽としていたということです。数学を極めるということだけでなく、ゲームとして楽しむことが、庶民レベルでも行われることでその社会の知的水準を高めてきたと言えると思います。他方で、数学は、フェルマーの最終定理というものを証明しようとして数多の天才たちの人生を台無しにするという悪魔性ももっています。それぐらい数学には人々をいろんなかたちで惹きつける魅力があるのでしょうね。数学の起こり、天才数学者たちのドラマ、世界史とリンクした数学文化の伝承などを知ることも、数学を学ぶモチベーションをたかめてくれそうです。