この4月に、倉敷美観地区の旧中国銀行の建物をほぼそのまま利用した、児島虎次郎記念館が大原美術館の別館としてオープンした。虎次郎の作品もよかったが、彼がヨーロッパで収集し持ち帰った古代エジプトや西アジアの美術品の展示がとてもよかった。ミイラカバーや、死者の胸に置かれる「心臓スカラベ」(スカラベはフンコロガシの一種で、古代エジプトで神聖視されていた。これは、死者の魂を守り来世での審判を助けるとされた装飾品)や、独特のデザインの装飾品の数々に、目が釘付けとなった。古代エジプトの人々の宗教観や美意識を感じ取ることができる。
大原美術館をつくった大原孫三郎は、現在のクラボウ・クラレ・中銀・中電の設立や運営を通じて倉敷の経済をささえた実業家であるだけでなく社会事業家でもあった。岡山孤児院(児童福祉の父といわれた石井十次の設立した日本初の私設孤児院)を支援し、倉敷中央病院を設立、さらに労働者の労働環境改善にとりくみ、そのための研究所もつくっている。倉敷商業高校の設立にも携わり教育にも貢献した。その彼は、若き画家の児島虎次郎の才能と性格をみこんでパトロンとして留学を支援。その彼がヨーロッパで収集した一級の美術品によって大原美術館ができたのだ。
城山三郎の小説に『わしの眼は十年先を見通す』というのがある。これは大原孫三郎がモデルだ。しかし、大原は十年どころか百年後の現在を見通していた、いや現代の経営者の先をいっていたのではないかと思われる。