円通寺公園の芝生にねそべって、桜の満艦飾と瀬戸の穏やかな海と青空をながめていた。円通寺は良寛さんが若いころ修業に励んだ古刹である。そういや、去年良寛の評伝を書いて、賞金百万円のある文学賞に送ったけど、箸にも棒にもかからなかったようだ。良寛さんは子どもとまりつきをして楽しむ姿が有名だが、素朴ですばらしい書や和漢の詩歌を残したことでも有名である。その書はのびやかで自由な筆使いで、独特の世界をあらわしているので好きだ。彼の書は生前から評価が高く、それを手に入れたがった人は、良寛が断れないことを承知で子どもたちをつかって書をかいてもらいせしめていたそうだ。
羽黒神社にも行った。1658年に備中高松城主(玉島や江戸時代この藩の飛び地であった)水谷勝隆が玉島の開拓をおこなうにあたって出羽(現在の山形県・秋田県の一部)の羽黒山から神霊を勧請して土地の守護神として祀ったものである。主祭神はタマヨリヒメノミコトという、海にまつわる神である。社殿の精巧な彫刻が印象的だった。
近くの西爽亭にもいってみたが、ここは幕末の玉島事変の舞台である。備中松山藩主は最後まで将軍徳川慶喜に忠義をつくしたため、玉島は新政府軍に包囲された。警備隊長の熊田恰は自らが切腹することと引き換えに藩主たちと玉島の町を戦火から守った。その時の天井の血痕を見せてもらったことがある。羽黒神社にはその後熊田神社が建立された。
あらためて、玉島の自然と歴史を感じる一日だった。