新しい学びのカタチ
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アートとしての書道

 書道あるいは手軽な硬筆をしていると、心が鎮まり、とてもよい気分になれる。余計なことを考えず集中力が高まり、自分に向き合う時間がゆったり流れる。また書道展を見に行けば、それぞれに個性的で優美な作品群に、心躍ったりうれしい気持ちになったりする。福山の書道美術館に行けば、いつでも時々のテーマに沿った展示を楽しめる。

 とりわけ、一見すると上手とは思えないような書道の大家の作品をじっくり鑑賞するだけでなく、それをお手本にして真似してみるといろんな発見がある。本家中国の達人には以下のような特徴がある。東晋時代の王羲之は書聖とされ書道を芸術(アート)として確立した。「蘭亭序」がとても有名で、バランスの取れた美しい書風が圧倒的に有名だ。初唐の欧陽詢は楷書の技法を極めた。「九成宮ほう泉銘」などの端正で厳格な書風が私は好きだ。初唐の虞世南もいい。暖かくて整った端正な楷書が特徴で「孔子廟堂碑」が代表作である。初唐のちょ遂良は「雁塔聖教序」で楷書に動きと変化を加えた。最後に中唐の顔真卿だがこれはすごく太い線で力強く、私はあまり好きではなかった。これらの作品が高校の書道の教科書に大きな写真でのっているのでそれを臨書することができる。そのことで大家の筆遣いやみなぎる個性を味わいながら自分の技能を高めることもできる。

 王羲之の「蘭亭序」は、蘭亭での集まりで酒を飲んで酔ったまま、下書きとしてかいたものが歴史上もっとも有名な書となった。本人がなんどもあとで清書したがこれをうわまわるものが書けなかったという。この有名なエピソードから、芸術の瞬間的な即興性や、理性や技術をこえた至高の作品が作者を介してうまれることがあることをあらわしているようにおもえる。もちろんたえざる精進によって培われた確固とした技術と鍛え抜かれた精神性があってこそ、ふとした瞬間に自然とインスピレーションにうたれゾーンに入ったといわれる状態となり本人も思いもよらぬような作品が世に生まれるのだろう。
 顔真卿のあのド迫力の筆跡からはなにをみてとることができるだろうか。安史の乱によって、玄宗皇帝が愛する楊貴妃とともに都落ちする(その過程で楊貴妃を殺せという要求を拒めなかった)という大波乱の時代を生き抜こうとする当時の人々の情熱や苦悩の中での決意が顔真卿の書にはあらわれているといえるようだ。そして顔真卿自身の義人としての人柄や正義感や信念があの生命力のあふれる書に込められている、と考えると、苦手だった彼の作品も魅力あるものになってくる。
 
 書は、きれいな美しい字を書く技術(アート)というにとどまらず、書き手の人間性やその時代の精神世界・文化を表現するものであるように思える。その作品に、書き手がどのように世界を感じ解釈しているのかがにじみ出るように思う。書は、その意味で哲学を体現し、歴史や思想の織り込まれた芸術(アート)なのだろう。

2025/4/2