織田信長が好き、という人は現代では多い。その革新性や戦のつよさ、リーダーシップなどに惹かれるのだろう。私は正直最近まで嫌いだった。強引な組織運営や非情さ、比叡山延暦寺焼き討ちや一向一揆皆殺しなどの残虐行為に、ついていけないのだ。もちろん、殺さなければ自分が殺されるという戦国時代の状況や当時の人権感覚など確立していない価値観からすると、織田信長だけが特別残酷だったというのは公平性を欠いた言い方だろう。しかし、現代の価値観で歴史を裁断してはならないと言われることがあるが、その時代状況や価値観を理解しようとしたうえで、現代の平和・人権・人命尊重の価値観が共有されるようになっている地平から、歴史的な残虐行為や侵略戦争をはっきり否定的に判断することは必要だと私は考える。そうすることで、歴史が、そして人間の価値意識が、どのように変化しあるいは発展してきたと言えるのかを明らかにすることが、歴史学の課題だと思うのだ。
織田信長の歴史における功績は何か。まず新たな戦術・優秀な人材の採用などによって戦乱の時代に終止符を打ち安定した秩序を打ち建てるその礎をきづいたことだ。また、彼のみがしたことではないけれど楽市楽座によって自由な経済活動を大規模に促進し商業を発展させたこと。そしてそれ自体として権力や軍事力をもち政治・経済にも介入することで旧弊となってもいたような宗教勢力を強引におさえこんだ。さらには壮麗な安土城を建設したり茶道を保護したり西洋文化をとりいれるなどしてあらたな文化を形成することに貢献したことなどがある。
織田信長を、革新的なカリスマリーダーとして単純に英雄崇拝するのでなく(それは現代の混迷を突破する強力なリーダーの待望・礼賛論とも重なる)、他方で残虐な独裁者と切り捨てるのでもなく、歴史に果たした功罪を、当時の時代状況との関連において冷静に判断することが、歴史の学習を現在に生かすことになると思う。とはいえ織田信長かっこいい、戦国時代ってわくわくする、こういうのは私も子供のころ味わった感覚だし、そこを出発点にして歴史に興味を持ち探究していくのはとてもいいことだと思うわけです。