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そんな塾です
高校公共④1

国際社会と日本

 国際社会は190をこえる主権国家・地域からなる。またEUのような国の連合体、NGO、多国籍企業などのアクターも国際社会に影響を与えている。国家間の政治・経済・社会的な関係を律するのが国際法である。これは国際慣習法と条約からなる。たとえば国連海洋条約により領海と排他的経済水域が定められている。国際紛争の平和的解決のため国際司法裁判所もある。現実には武力紛争・国家間対立があり有効に仲裁和解がなされないことも多い。領土領海問題は紛争要因になりやすく、国際法による解決がなかなかむずかしい。どうすればよいのだろうか。知恵と努力をもっと結集しなくてはと思う。
 二つの大戦の反省から集団安全保障の考えが生まれて国連ができた。前身である国際連盟の限界を教訓にしつつ国連憲章がつくられ、総会・安保理などの主要機関と多くの下部機関が形成された。しかし安保理は米英仏ロ中の常任理事国(いやなら拒否権あり)と10の非常任理事国からなり、しばしば大国間の対立が生まれ機能停止が指摘されてきた。それでも国連を国際平和や世界の人々の人権・幸福のためによりよくしてゆくことが必要だと思う。国連の現実と理念についてよく知ってほしいと思う。
 国際紛争を抑止するために国連が呼びかけてPKO(平和維持活動)が展開されている。国連軍はなく各国の軍隊で構成されるため国のそれぞれの思惑が入り込んでしまう。国連はまた、貧困・飢餓の問題にも取り組み、ミレニアム開発目標MDGsを2000年に掲げた。そして2015年には国連持続可能な開発サミットでSDGs(持続可能な開発目標)を採択した。この中には(国家のではない)「人間の安全保障」という考えも取り入れられている。SDGsをたてまえやきれいごととしてすませずに、どうすればその理念を自分たちの課題として理解し受け止めて現実化してゆけるのかを考えたいと思う。そして国連がその本来の力を発揮できるようにすればよいのかも課題だと思う。
 第二次世界大戦後、二度とあの惨劇を繰り返してはならないと多くの人が実感してきたはずである。しかし現実には戦後、アメリカ中心のNATOと、ソ連中心のワルシャワ条約機構が軍事的に対峙する冷戦時代に突入してしまう。朝鮮戦争・ベトナム戦争をはじめとして、米ソの代理戦争が各地で勃発した。緊張とその一時的緩和を繰り返しつつ、1962年キューバ危機では世界核戦争の瀬戸際にまで至った。東西陣営のそれぞれのうちでも、中ソが対立したり、フランスがNATOを脱退するなどし、またアジアアフリカの新独立国が第三極を形成したりと、冷戦期世界は複雑な様相を見せた。ソ連が軍拡競争と硬直した経済と抑圧的社会の下で疲弊すると、書記長ゴルバチョフはペレストロイカという改革を行いソ連を立て直そうと試みた。その一つの柱としてアメリカとの関係を改善させ、最終的にはマルタ会談で冷戦終結を米ソ首脳で宣言したのだが、ソ連自体が大混乱のうちに解体・崩壊することになった。冷戦構造終結の象徴が、(ベルリン内の)東西ドイツの間の「ベルリンの壁」崩壊であった。筆者は世界は平和と協調にむかって激動していると信じて、当時中学1年生の時興奮と感激をもってテレビを見ていたのを覚えている。
 しかし冷戦終結後唯一の超大国となったアメリカは湾岸戦争を主導し、世界にアメリカンスタンダードを押し付けるようなふるまいをする。そして2001年のアメリカを対象とした同時多発テロに対する報復と称してアフガニスタン戦争、さらにイラク戦争へと突入した。2022年には今度はロシアがウクライナへの軍事攻撃を開始した。現代の戦争はすぐ終わるという幻想の下に始まり泥沼化し終えることができなくなるという特徴があると思う。冷戦終結により世界が平和と協調に向かうという私たちの願いが幻想に過ぎなかったとでもいうように世界においてさまざまな戦争・紛争・対立が噴出してきた。どうすれば世界の平和を実現できるのか、ここにこそ人類の知が結集されねばならないのではないか、そのためにこそ私たちは勉強し対話をしてゆかねばならないと思うのだ。
 戦後日本は専守防衛を長らく国是としてきた。核兵器を「もたず・つくらず・もちこませず」という非核三原則も掲げている。戦前戦中のいわゆる軍部独走への反省から、自衛隊は文民統制のもとにある。国防について審議する数名の首相・大臣からなる国家安全保障会議がつくられている。また、国際貢献を大義として1992年にPKO協力法が成立し自衛隊をカンボジアをはじめとする世界各地に海外派兵してきた。2001年アフガニスタン戦争、2003年イラク戦争に際しては米軍を支援する海外派兵をおこなっている。同盟国の一員として集団的自衛権を行使し戦争に参加することも可能とした。筆者はこうした動向を平和を願う立場から憂慮する。
 私たち日本人は、核兵器の恐ろしさ・非人道性を知っているはずだ。しかし世界ではなお核抑止論のもと大量の核兵器がいまも準備されている。第二次世界大戦後何度も核戦争の危機が起こり、これに対する反核平和運動が世界で巻き起こってきた。米ソ間でもそれぞれの思惑をもちながら核管理の交渉が重ねられてきた。しかし核兵器は地球上からなくならなければならないと筆者は思う。2017年ついに核兵器禁止条約が採択されたが、肝心の核保有国やこれに追随する日本などが交渉に参加さえしなかった。戦争や兵器がなかなか減らないのはどうしてなのだろうか。武器を売ってもうける「死の商人」の存在、軍と軍需産業と政府の結びつき、こうした因子を知ることを手掛かりにもして、平和の実現のためにはどう考え行動すればよいのかを考えたいと思う。
 近代に入り民族としての自覚が人々に生まれ国民国家が成立していった。民族主義は国家をまとめる他方で異なる民族との対立を生むこともある。ナショナリズムが国家間対立・戦争の要因となることがある。とくに冷戦終結後むしろたがのはずれたようにナショナリズムが吹き荒れ、地域紛争が多発した。(筆者はこの問題をなんとかしたいというおもいをもって大学に進学した。旧ユーゴスラビアの凄惨な内戦やパレスチナ問題の激動を友人たちと研究し議論した。)
 紛争・戦争をはじめ、人権問題・貧困格差問題・地球環境問題など世界には解決をめざすべき問題がたくさんある。急増している難民に対して迫害する態度をとるひともいれば支援の手を差し伸べる人もいる。諸問題とその背景を、困っている人・苦しんでいる人のことをおもいやりながら知り自分たちで探究してゆくことが、解決への一歩だと思う。


 

2024/12/18