国家と個人間の法律が公法、私人間の法律が私法である。私人どうしの関係は個人の自由な意思によるのが原則であり、所有権が絶対だというのも原則だ。だから契約も自由だし、過失がない限り損害賠償も負わなくていい。以上は近代社会の原則であるが、現代においては必要に応じて修正がなされてきている。なぜならみんなの利益をそこなうことが横行したり強い立場の人ばかり有利になると社会にゆがみと不安定が生じるからだ。権利の行使や義務の履行も、信義誠実におこなわねばならないと民法にはある。
所有権などの物権は、ものを支配する権利のことであり、債権とはある人に対していつまでにこれをしてくれと要求できる権利のことだ。基本的には両者の契約に基づいて債権は発生する。また、一定期間権利を行使しなかったら時効により権利が消えることがある。
契約は、当事者の意思のみで成立する場合もあるが契約書などを必要とするものもある。契約で権利を得るのが債権者、義務を負うのが債務者である。義務を果たさないと債務不履行ということで債権者は別の手立てを打てる。労働契約では特に、労働者は使用者より弱い立場にあるので契約の自由が修正されている。生産者と消費者の間でも消費者が不利益をうけないような修正がされている。
生産者のほうが消費者より情報ももっているし宣伝広告に依存させやすい。まわりのみんなが買っているようだからという心理もはたらく。気軽に買い物ができる決済システムも次々にうまれた。だからこそ消費者をまもる法や制度もできてきた。それでも買い物などの契約をするとき、消費者としての私たちはよく考えて行動すべきだと思う。
高度経済成長の負の面を象徴する四大公害訴訟では、住民運動がもりあがり被害者たちが訴訟を起こし国を動かした。国内においては環境意識は高まり対策も取られてきたといえる。国内の公害対策は質的にも改善された。①有害物質の濃度より排出の総量が規制されるようになったこと②企業に過失がなくとも被害に責任を負うようになったこと③汚染させた企業に除去・防止の費用を負担させるようになったこと④大規模開発が周辺環境に及ぼす影響を事前にアセスメントする制度ができたこと。これらが一定の成果を生む他方で、企業が環境基準の緩い国へ移転したり、都市・生活型の公害が深刻になってきた。
地球規模での環境問題は深刻さを増しており待ったなしの状況だ。大量生産・大量消費・大量廃棄の社会から転換することが切実にもとめられていると思う。
はたらくということは人間にとって本質的なものだと思う。それが自分を豊かに成長させてくれるものであるべきだとも思う。しかし現実には労働者と企業の契約は対等といえない。働かなくては基本的に生活できないので条件が悪くても労働がつらくても働き続けなくてはならないということがおこる。資本主義の矛盾が大きくなると労働者は団結して労働運動を展開して自分たちの権利を憲法に認めさせたり力関係を変えたりしてきた。労働組合は使用者と対等な立場で団体交渉をおこない労働条件を改善しようとする。使用者が組合活動を妨害することは不当労働行為として禁じられている。
労使間の調整を労働委員会が担当することもある。あっせん・調停・仲裁をする。なお日本の公務員には労働三権が制限され争議権が禁止されてきた。労働基準法は労働者の生存権を保障し使用者が守るべき労働条件の最低基準を定めている。そして労働基準監督署などが監督している。
日本には終身雇用・年功序列・企業別組合という雇用慣行が特徴としてあり、高度成長や高い生産性の秘訣とされてきた。バブル崩壊後これらはほりくずされてゆきリストラという名の解雇が横行し完全失業率が急上昇した。また、正社員ではない非正規労働者が増え生活が不安定になった。最近は労働力不足が問題化している。働き方改革が叫ばれてきたけれど、本当にはたらく人のためになるように望む。
正社員と非正規の待遇格差を解消していくために、同一労働同一賃金の原則が掲げられている。一人当たりの労働時間を減らしてその分雇用を増やすというワークシェアリングや、仕事と生活の調和であるワーク・ライフ・バランスなども提案されている。
資本主義とはなんであるかを探究し、それが現にうみだしている問題はどのように解決されるべきかを考えることはきわめて大切なテーマであると思う。