憲法は、国民の権利や統治の仕組みを定める最高法規である。憲法は国民への命令ではなく、あくまでも国民の権利や自由を守るために国家権力を制限する、いわば国への命令なのである。これを立憲主義という。
日本の大日本帝国憲法は天皇主権であり、「臣民」の権利は留保付きの限定的なものだった。戦後の日本国憲法はこれと大きく異なる原理をもっている。それは国民主権・基本的人権の尊重・平和主義である。第9条に戦争の放棄・戦力の不保持・交戦権の否認がめいきされていることは画歴史的なことだと思う。また、全世界の国民の平和的生存権を認めて国際協調主義の立場も宣言していることは銘記されるべきだろう。
日本国憲法では基本的人権は「侵すことのできない永久の権利」であるとしている。なお生命・自由・幸福を追求する権利を唯一「公共の福祉」が制限できるとしてあるのだが、これを国家国益ととらえるか弱い立場の人も含めての国民みんなの利益と解釈するかは立場によって分かれているといえる。他方で、憲法の定める国民の義務は、教育を受けさせる義務(教育を受けるのは権利である)と、勤労の義務と、納税の義務のみである。法の下の平等というのは差別をゆるさないということである。現実に存在してきた障がい者・女性・アイヌ民族などへの差別をへらすための法律がこの原則にもとづいて制定されていった。
自由権には、精神の自由・身体の自由・経済の自由がある。学ぶこと・考えること・それを公表すること・なにか信仰すること・集会をしたり団体を作ることなどは制限されない。何を犯罪としどう罰するかは法に基づかなければならないし、奴隷的な拘束や苦役の強制も当然課されてはいけない。経済的にも、居住・移転・職業選択は自由であり、自分の財産権も保障されている。
社会権とは、「人間たるに値する生活」を営むことの保障を国家に求める権利である。具体的には「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」としての生存権がある。また、教育を受ける権利がある。勤労の権利も保障されている。そしてこれはよりよい労働条件のために使用者と交渉することができる団結権・団体交渉権・団体行動権とセットであり、あわせて労働基本権である。
また参政権は主に選挙を通じて政治に参加する権利である。最高裁の裁判官を審査したり、憲法改正にあたっては国民投票で最終決定したり、地方特別法に対しては住民投票による参加もある。
請求権はこういう施策をしてほしいとか自分の人権が侵害されたのでその回復をもとめるとかいうことを国や地方公共団体に求める権利である。日本国憲法では、損害の救済や法律の制定などを国にもとめる請願権も保障されている。裁判を受ける権利も請願権には含まれている。
社会の進展に伴って新しい人権がもとめられるようにもなっている。国民が良好な環境の下で人間らしく生きられるための環境権。「私生活をみだりに公開されない」ことや「自己に関する情報をコントロールする」ためのプライバシー権。国や企業の握っている情報のうち国民に必要な情報を知る権利。こうした現憲法には私たちのなにをまもってくれるのか、どういう権利を保障しているのか、憲法をつかうことで社会をよりよくすることができるのではないか、といったことを知り考えていくことが大事だと思う。
世界的にも、国連は世界人権宣言、国際人権規約を採択してきた。さらに人種差別撤廃条約・女性差別撤廃条約・子どもの権利条約を採択してきた。こうしたことを知ることによって、現実には世界にも日本にも数多くの人権問題があるけれども、世界をよりよくしてゆくための武器としてゆければと思う。