新しい学びのカタチ
生徒が自分から取り組み、
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そんな塾です
公共②

哲学・倫理

 古代ギリシャのソクラテスは「善く生きること」が大切だといった。そして、自分は大切なことを知っていないという不知の自覚が、真の知の探究のきっかけになると考え、さらに対話によって人々を真の認識に導こうとした。その弟子プラトンは、師が目指したのは完全で永遠な万物の根拠=イデアの探究だとした。不完全な私たちがこのイデアを求めるときの情熱をエロースとよび哲学の精神とした。そのまた弟子のアリストテレスは理想主義的なプラトンに対して現実主義的とされる。彼は、理性をはたらかせて極端な行動をおさえる中庸を重んじる。また人間を他者とともに共同体の中で生きる存在とし、善く行動し幸福に生きることのできる国家がすぐれているとした。
 中国の孔子は肉親の愛情をもとにした仁と、それを行動で表す礼を理想とした。孟子は他人の痛みや悲しみが分かる心を重視した。これらの思想は儒教として中国・東アジアの文化に大きな影響を及ぼし続ける。他方で道家の老子は自ら意図せず万物を動かす無為自然の道を説いた。いたずらに知恵を働かさず自然なままで生きるのがよいとした。
 宗教とは、人間を超える存在を信じ平和や幸福を祈り願う人間の営みである。ゴータマ=シッダールタによって開かれた仏教は、この世のすべては苦であるとし、人々の煩悩の根源はこの世の真理に気づかないまま、執着することにあるとした。真理というのは、すべての事物はそれ自体で存在せず相互に依存しつつ変化しつづける、ということだ。
 キリスト教は、民族宗教のユダヤ教から生まれイエスを救世主と信じる人々によって形成された世界宗教である。イエスによると、神は律法を破った人々を罰しつつも罪を犯さざるを得ない人間の弱さを許し神の愛を注いでくれる。人々に、神を愛し隣人を愛することをイエスは説いた。その死後パウロが教義を確立した。
 イスラームは唯一神アッラーへの絶対帰依と神の下での平等を説くムハンマドを最後にして最高の預言者とする。イスラームの教義は「クルアーン」に神の言葉として記されている。六信五行を信者は生活の中で実践する。
 日本では聖徳太子が仏教を定着させ、まず国家安泰をねがう宗教とされ、平安時代の最澄・空海に引き継がれた。鎌倉時代にかけて人々の浄土への往生を説く宗派があらわれた。法然はひたすら阿弥陀仏の名を唱えることを説き弟子の親鸞は自力で善行をおこなうことのできない人こそ救いの対象だとして絶対他力の思想を唱えた。一遍は踊念仏で全国を遊行した。栄西に影響を受けた道元はひたすら座禅することですべての執着から解き放たれ悟りの境地に至れるとした。日蓮は迫害を受けつつひたすら南無妙法蓮華経を唱えよとした。
 他方日本の儒学は江戸時代に朱子学が官学となり身分秩序や礼儀法度を基礎づけた。朱子学のほかに陽明学・古学もある。儒学に対し、日本の古典から理想的精神を探究する国学が登場したり、商人の支持を得た心学、安藤昌益の独自の平等思想など、江戸時代は様々な学問がひろく民衆まで普及した。
 日本では古代から私心のない純真な心を尊んできたと言われる。共同体に災いを及ぼす行為や災害・病気などをケガレとし、祓や禊によって浄化しようとした。アニミズムや八百万の神の信仰が特徴だ。歴史的に、仏教・儒教など外来思想を受容しつつ独自の文化をはぐくんできた。物事が神秘的で奥深いことをあらわす幽玄や、簡素閑寂な境地であるわび、静寂で枯淡な境地であるさびが重んじられてきた。
 明治になると欧米思想が流入し、福沢諭吉は独立自立の精神を、中江兆民は与えられた権利を人民が獲得したものとおなじようなものにしていくことを説いた。内村鑑三は武士道精神とキリスト教の精神を結び付けようとした。夏目漱石は文明開化を内発的なものに転じるためには他人の個性を認めつつ自分の個性を発展させるような自己本位を確立しなければならないと考えていた。
 西田幾多郎は、主観と客観が分かれる前の純粋経験というものによって人間は真実の自己を見出すという日本独自の哲学を打ちたてた。また和辻哲郎は人間を間柄的存在として独自の倫理学を確立した。他方柳田邦夫は無名の人々の行事や昔話から思想を掘り起こす民俗学を打ちたてた。

2024/12/14