7世紀、アラビア半島ではアラブ人たちが部族単位の暮らしをしていた。宗教はそれぞれの多神教で、土着の神様をそれぞれ信仰していた。ユダヤ教・キリスト教も伝わっていた。メッカにムハンマドが生まれる。彼は孤児となり、成長すると隊商貿易の商人となる。ハディージャと結婚し終生愛し合う。40歳のムハンマドが趣味の瞑想をしていると、いきなり異変が起こり目の前に大天使ガブリエルが現れて「誦(よ)め!」と迫った。恐怖にかられたムハンマドは帰宅し、しばらくだれにも話さなかった。そして妻に打ち明けるとなぐさめてくれた。ムハンマドは自分が「預言者」であることを確信しうけいれる。最初に妻ハディージャが信者になってくれた。次に親戚、さらに商人仲間に布教を始めていく。しかしメッカの有力者や商人たちはこれを目の敵にして弾圧しだすと、ムハンマドも戦闘的に変わっていく。ムハンマドは弾圧にこらえられなくなるとメディナにわずから人数で移住する。彼らは、所属していた各部族の絆を絶って信者の共同体(ウンマ)をつくった。これがメディナの部族対立の調停役となりメディナは安定する。同時にムハンマドは儀礼を定め、宗教としての体裁を確立してゆく。イスラム教の成立である。
そしてイスラム教は、周辺の部族対立を緩和しながら拡大してゆく。国家をもっていなかったアラブ人が政治的にもまとまっていく。そしてついにメッカを征服しアラビア半島を統一した。ムハンマド死後もイスラム教は発展をつづける。
ムハンマドの死後選挙で選ばれた四人のカリフが指導した時代を「正統カリフ時代」という。イスラム教によって一つにまとまったアラブ人のエネルギーは外に向かって爆発する。ニハーヴァンドの戦いで大国ササン朝ペルシャを破る。東ローマ帝国からもシリア・エジプトを奪う。そして軍事都市を拠点として周辺住民を支配していく。征服された人々は、人頭税と土地税さえ払えばイスラム教への改宗を強制されないが、イスラム教徒は免税される。イスラム教徒は増えてゆく。
四代目カリフのアリーに、シリア総督だったムアーウィアが反逆した。両者の対立に反対するグループによってアリーが暗殺されてしまう。そしてムアーウィアが実力でカリフにのし上がった。これ以降のウマイア朝はシリアのダマスカスを首都とする。こうした争いをはらみながらもイスラーム勢力は東はパミール高原、西はイベリア半島まで、領土を拡大してゆく。さらにフランスに進撃したがトゥール・ポワティエ間の戦いでフランク王国に阻止される。
ウマイヤ朝は、アラブ人を支配者とし他民族のイスラム教徒を対等に扱わなかった。非アラブ人は反発する。他方で、暗殺されたアリーの後継者を正当なカリフだと主張するシーア派が誕生した。これに対してウマイヤ朝を認める多数派をスンナ派とよぶようになった。反ウマイヤ運動が起こる中で、アブル=アッバースがウマイヤ朝を倒すことに成功する。以後アッバース朝の首都はバグダードに置かれる。アッバース朝は全てのイスラム教徒を同等に扱ったので安定する。イラン人(旧ペルシャ)を積極的に登用しその能力を発揮させつつ中央集権化をすすめた。そしてイスラーム世界を一つにまとめるイスラーム帝国を確立する。8世紀にはハールーン=アッラシードのもと全盛期を迎える。のちアッバース朝が衰えイスラム世界が多極化していったが、アッバース朝のカリフは宗教的権威でありつづけた。また、アッバース朝はトルコ系遊牧民族を奴隷として買って軍人とした。彼らは以後イスラーム世界で大いに活躍することになる。アッバース朝はモンゴル帝国によって最後は滅ぼされた。
モンゴル人のイル=ハン国(イラン・イラク方面)は土着勢力の協力を得るためにイスラム教に改宗する。チャガタイ=ハン国もイスラム化してゆく。そしてチャガタイ=ハン国の武将のティムールは自立してイラクから中央アジアにまたがるティムール帝国を築く。彼はチンギスハンの帝国の復活をこころざした。ただしティムール帝国の主な民族はトルコ民族化していたといえる。当時力を伸ばしていたオスマン朝とアンカラの戦いで激突して勝利する。さらにティムールは中国・明の討伐までねらったが、遠征の途上で死去した。